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樽屋五兵衛について

樽屋五兵衛のこだわり

食のあるべき姿を求めて

昨今 日本の加工品は合成着色料 合成保存料等の添加物が多く使用されております。 元来、食は医食同源にあるように体に良いものでありましたが、決してそうでないようになってきております。 古来日本人は恵まれた自然からの海 山野の産品の天然の旨みを生かした産品を食してまいりました。 それゆえ、自然と共生してきた日本のDNAを復活するためにも、余計な添加物を使用せず創りあげる必要があるのです。

素材・技・味の『壱の一』

樽屋五兵衛は「日本の味伝承」を理念に、合成保存料・合成着色料は極力用いておりません。また、日本各地の旬に合わせて吟味・厳選した”素材”を伝承された”技”を以て、素朴で昔ながらの”味”を醸し出しております。 問屋にとって最も大切なものは何でしょうか。それは深い知識と長年の経験、すなわち『目利き』が生命線です。 厳選された壱番の”素材”を創業79年海産物問屋の目利きで選び、手間暇惜しまぬ昔ながらの伝承された”技法”で、五臓六腑に染み渡る「天然の旨味」で舌鼓を打っていただく、常に一番を求める理念 ~ 素材・技・味の『壱の一』~ は、樽屋五兵衛が掲げる暖簾のこだわりであります。

樽屋五兵衛の歴史

兵庫津と樽屋五兵衛

1300年前の奈良時代に始まった港機能は平安時代の平清盛によって国内外の交易港として基礎ができ、”兵庫津”は江戸時代には宿場町として栄え、北前船の交易地として諸国の産品と情報が溢れ人口も二万人に及ぶ現在の神戸の前身の地域でありました。 樽屋五兵衛は江戸時代文政年間(西暦1818年)以前より、此処”兵庫津”において姫路藩御用達として伝承されているだけでも漢方医・両替商・造船・マッチ等商いを営み、岡方会館近郊寺院等の要所を代々重ねてきました。 万延元年(西暦1860年)の米不作時には、地域への施米を施す為の世話人を務めたり、北前船の松前藩や近郊神社仏閣への寄進など、永きに渡り老舗商家として”兵庫津”の繁栄と共にあり続けてきた兵庫商人でありました。

樽屋五兵衛の「再興」

戦前にいったん暖簾を下ろした樽屋五兵衛は、諸国の海産物の集約地の利点を生かし昭和16年に海産物問屋を立ち上げました。 1995年、神戸地域を襲った阪神淡路大震災では大打撃を受けましたが、全国の取引先やお客様から多大なご支援を賜り、また社員一丸となり、地域の方々と共に力を合わせ最大の危機を乗り切ることができました。 そして平成20年、此処”兵庫津”に置いて再び「樽屋五兵衛」の暖簾を掲げました。